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長野地方裁判所 平成7年(行ウ)2号 判決

原告

坂口宇多彦

右訴訟代理人弁護士

澤野順彦

被告

軽井沢町

右代表者町長

松葉邦男

右訴訟代理人弁護士

柳沢義信

主文

一  原告の主位的請求を棄却する。

二  被告は原告に対し金三三〇万円を支払え。

三  原告のその余の予備的請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告、その余を原告の各負担とする。

事実及び理由

第一  請求

(主位的請求)

原告が被告に対し「軽井沢町国民健康保険診療施設の勤務医師に対する特別報償に関する条例」(昭和四七年三月二八日条例第一〇号。以下「本件特別報償条例」という。)二条(1)号に定める特別報償(以下「本件特別報償」という。)として六〇〇平方メートル以内の宅地の給付を請求する権利を有することを確認する。

(予備的請求)

被告は原告に対し金一億円を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告が開設した町立病院に医師として勤務した原告が、本件特別報償条例には通算して一五年以上勤務した者に特別報償として住宅用地を与える旨の定めがあるところ、被告に任用されるに際し勤務条件として右特別報償の内容を示されこれを受諾した上で職務に就き、退職までに右の通算勤務年数を充足したから、被告に対し、雇用契約若しくは贈与契約に基づく私法上の宅地給付請求権又は本件特別報償条例を直接の根拠とする公法上の宅地給付請求権を有する旨主張して、主位的に右請求権が存在することの確認を求めるとともに、予備的に被告の右宅地給付債務の不履行を理由とする損害賠償等を求める事案であり、これに対し、被告は、宅地給付請求権の存在確認を求める訴えは不適法であると主張して、本件訴えのうち主位的請求に係る部分の却下を求め、また、本件特別報償条例は地方自治法等に違反する無効な条例である上、被告には原告が主張するような債務不履行はないなどと主張して、各請求の棄却を求めている。

一  判断の前提となる事実(当事者間に争いなし)

1  原告は、医師の資格を有し、昭和四九年五月一日被告の常勤の職員として任用され、以後平成三年八月三一日に退職するまでの間、被告の開設した国民健康保険診療施設である軽井沢病院(以下「本件町立病院」という。)に産婦人科医として勤務した。

2  本件特別報償条例は、昭和四七年三月二八日に公布された条例であり、その内容は別紙記載のとおりである。

3  同条例において特別報償の内容を定めているのは二条であり、そのうち(1)号には、被告の国民健康保険診療施設に通算して一五年以上勤務した者には、特別報償として、六〇〇平方メートル以内の住宅用地を与える旨の規定がある。

4  同条例四条には、施行に関し必要な事項は町長が定める旨の規定があるが、これに基づいて町長が施行細則その他の規則を制定したり、何らかの定めをしたことはない。

5  同条例三条には、二条所定の特別報償は同条各号に該当するに至った日の属する年度中に行う旨の規定があるが、原告の通算勤務年数が一五年に達した平成元年五月一日の属する年度中においても、また、その後退職するまでの間においても本件特別報償が与えられなかったため、原告が平成五年一一月二九日被告に対し右の履行を催告したところ、被告は、同年一二月六日原告に対ししばらく検討したい旨回答した。

6  その後、平成七年三月一〇日に開かれた被告町議会において、本件特別報償条例につき、同条例制定以来該当者は一名あるものの、当該医師は同月末退職に当たり同条例の適用を望まず、また、長野県の指導もあるので、同条例を廃止したい旨の町長の議案説明がされた後、同条例を廃止する条例案が可決され、右は同年四月一日条例第一四号(以下「本件廃止条例」という。)として公布された(同日施行)。

7  本件特別報償は、今日に至るまで、原告に対し一切与えられていない。

二  争点

1  主位的請求に係る訴えの適法性

(被告の主張)

本件訴えのうち主位的請求に係る部分はいわゆる義務付け訴訟(義務確認訴訟)と解すべきところ、義務付け訴訟は、三権分立の建前上原則として許されず、例外的に行政庁が特定の行政処分をなし又はなすべからざることが法律上一義的に羈束されていて自由裁量の余地がなく、裁判所が裁判をしても行政庁の第一次判断権を実質的に侵害するとはいえない場合、すなわち、行政庁の作為、不作為の義務が一義的である場合に限って許されるものである。本件特別報償条例は、後記2の被告の主張のとおり無効な条例であるが、仮にこれが効力を有するとしても、同条例に基づく住宅用地の給付は、軽井沢町住民の健康管理、増進に特別の功績があった者であることを要件の一つとしており(同条例一条)、ただ単に通算して一五年以上勤務した者であることだけで、当然に住宅用地の給付を請求する権利が生ずるものではない。そして、軽井沢町住民の健康管理、増進に特別の功績があったか否かは行政庁の判断に委ねられており、行政庁の裁量により特別の功績があったと判断され、具体的に供給すべき住宅用地の所在、面積等が特定され、行政庁の給付決定がされて、初めて具体的に住宅用地給付請求権が発生するのである。したがって、本件訴えにより、裁判所が原告の特別の功績の有無を判断し、原告の住宅用地給付請求権の存否を確認することは、被告の第一次判断権を侵害するものであるから、本件訴えのうち主位的請求に係る部分は不適法であり却下されるべきである。

(原告の主張)

本件訴えは通常の民事事件であり、行政事件ではない。すなわち、原告は、被告に本件町立病院の医師として任用されるに際し、被告から、通算して一五年以上勤務すれば六〇〇平方メートル以内の住宅用地を与えるとの申出があったため、これを受諾した上、被告職員となることに合意した。これにより、原告は被告に対し、雇用契約上の権利として、期限付き又は停止条件付きの宅地給付請求権を取得したものであり、仮に右の給付約束が雇用契約の内容となり得ないとしても、原被告間において、期限付き若しくは停止条件付き又は負担付きの宅地贈与契約が成立したものと解することができる。そして、その後原告は退職したが、その在職期間は一五年を超え一七年に達していることから、期限の到来若しくは停止条件の成就又は原告による負担の履行により、被告は、原告に対し六〇〇平方メートル以内の宅地を給付しなければならない義務を負うに至った。本件訴えのうち主位的請求に係る部分は、右の宅地給付を実現すべく、被告の雇用契約又は贈与契約上の債務の確認を求めるものであり、私法上の権利の確認訴訟である。

仮に、本件特別報償の根拠が条例にあり、その法律関係が公法上のものであるとしても、本件は行政事件訴訟法四条所定の当事者訴訟(実質的当事者訴訟)として処理されるべきであるところ、本件においては、原告が本件特別報償の要件を充足した後、被告に対する請求がされ、事実上被告により右請求が拒絶されたのであるから、被告の第一次判断権を侵害しておらず、適法な訴えである。

仮に、本件がいわゆる義務付け訴訟の類型に属するとしても、①行政庁が当該処分をなすべきこと又はなすべからざることについて法律上羈束されており、行政庁に自由裁量の余地が全く残されていないために第一次的な判断権を行政庁に留保することが必ずしも重要でないと認められ(一義的明白性)、しかも、②事前審査を認めないことによる損害が大きく、事前の救済の必要が顕著であり(緊急性)、更に、③他に適切な救済方法がない(補充性)という各要件が充たされる場合には、義務付け訴訟も許されると解すべきであるところ、本件においても、本件特別報償条例は一定の条件が成就することにより、宅地給付という法律効果が発生する旨の規定となっており、右①の一義的明白性の要件は充足し、また、原告は右条件成就後、被告に対しその履行を請求したのに対し、被告はこれを拒絶し、更に、虚偽の議案説明により右条例を廃止するなど、右②の緊急性の要件も充足し、更に、本件を解決するための他の不服申立ての方法がなく、また、被告の対応等も考慮すると、本件訴えによらなければ原告の権利を保護することができないから、右③の補充性の要件も充足しており、本件訴えは適法である。

2  宅地給付請求権の存否

(原告の主張)

(一) 私法上の宅地給付請求権

前記1の原告の主張のとおり、原告は被告に対し雇用契約又は贈与契約に基づく私法上の宅地給付請求権を有する。

(二) 公法上の宅地給付請求権

仮に私法上の宅地給付請求権の存在が認められないとしても、原告は被告に対し本件特別報償条例を直接の根拠とする公法上の宅地給付請求権を有する。

(三) 被告の主張に対する反論

(1) 本件特別報償条例の効力について

本件特別報償条例に基づく報償は、「住民の健康管理、増進に特別の功績があった者」(同条例一条)に対して与えられる報償であって、給与の一種である特殊勤務手当ではない。すなわち、右条例にいう報償は、医療過疎地に勤務する医師の経済的、学問的損失を補完するものとして定められたものであり、同条例二条にはその趣旨((1)号は福利厚生の一環としての住宅用地の提供、(2)号及び(3)号は学問的研究の機会の供与)が規定されている。また、被告が「軽井沢町国民健康保険診療施設の勤務医師の特殊勤務手当に関する条例」(昭和四七年一〇月三日条例第二七号。以下「町勤務医師特殊勤務手当条例」という。)を制定したのが本件特別報償条例の制定から半年後であるのに、町勤務医師特殊勤務手当条例の制定に当たり本件特別報償条例を廃止していないことからみても、本件特別報償条例に基づく報償が特殊勤務手当でないことは明らかである。そうすると、右条例に基づく報償は、地方自治法二〇四条の二にいう「給与その他の給付」とは異なるものと解すべきであり、これを原告に給付することは何ら右条項に違反するものではない。仮にこれが「その他の給付」に該当するとしても、右条項にいう「条例」の意義について被告主張のように限定的に解釈しなければならない理由はなく、普通地方公共団体は、地方自治法一四条の規定による固有の条例制定権に基づき、必要な条例を制定することができると解されるから、本件特別報償条例に基づく給付は、地方自治法二〇四条の二に抵触しない適法かつ有効な給付である。

また、本件特別報償条例に基づく報償は、地方公務員法二四条六項にいう「給与」そのものではなく、右のとおりの特殊性からして「その他の勤務条件」に該当すると解されるから、本件特別報償条例は、右の「その他の勤務条件」に関する条例であって、地方公務員法二五条一項にいう「給与に関する条例」には該当しない。したがって、右報償を原告に給付することは右条項にも違反せず、適法かつ有効である。

(2) 本件特別報償条例廃止の効果について

原告は、本件特別報償条例が廃止される前に、同条例二条(1)号に定める要件を充たし、かつ、請求の意思を表明しており、具体的な請求権を既に取得しているから、同条例の廃止によって右請求権が当然に消滅することはない。

(3) 特別報償給付要件の該当性について

本件特別報償条例一条は、同条例の目的を定めたものであって、報償の要件を直接定めたものではない。報償の具体的な要件は同条例二条に規定されており、しかも、同条(2)号及び(3)号が海外研修又は国内留学を「行わせることができる。」として特別報償授与者側の裁量の余地を残しているのに対し、同条(1)号は「通算して一五年以上勤務した者には、六〇〇平方メートル以内の住宅用地を与える。」との断定的な権利付与規定となっている。したがって、被告の国民健康保険診療施設に通算して一五年以上勤務した者は、当然に、住民の健康管理、増進に特別の功績のあった者として、同条(1)号の特別報償を受ける権利があるものと解すべきである。なお、原告が本件町立病院の運営、管理に非協力的であったとの事実及び病院の当直の義務を果たさなかったとの事実は、いずれも否認する。

(4) 特別報償給付請求権の時効消滅について

本件特別報償は給与ではないと解すべきであるから、労働基準法一一五条による二年間の消滅時効にはかからないものである。仮に本件特別報償が給与等であって同法の適用があるとしても、被告は、原告が本件特別報償を請求する意思を有していたにもかかわらず、その行使を故意に妨げていたものであって、時効による消滅を主張することは信義に反し許されない。

(被告の主張)

(一) 私法上の宅地給付請求権について

原告が被告に勤務する関係は公法上の勤務関係であり、被告が原告を任用するのは行政行為ないし行政上の処分であって、地方公務員法が全面的に適用され、被告と原告との間においては雇用契約その他の私法上の契約関係は認められないから、原告は、被告に対し私法上の契約関係に基づく請求権を有しない。

(二) 公法上の宅地給付請求権について

(1) 本件特別報償条例の効力

地方自治法二〇四条によれば、普通地方公共団体は、常勤の職員に対し、給料及び旅費の支給(同条一項)のほか、条例で、所定の各種手当(特殊勤務手当を含む。)を支給することができるが(同条二項)、給料、手当及び旅費の額並びにその支給方法は、条例でこれを定めなければならないとされ(同条三項)、また、同法二〇四条の二によれば、普通地方公共団体は、いかなる給与その他の給付も法律又はこれに基づく条例に基づかずには、これを職員に支給することができないとされている。ここでいう法律又はこれに基づく条例に基づく支給とは、法律上直接に給与の種類、額、支給方法等について規定があり、これによって直らに給与が支給できるような場合に、これに基づいて支給すること、又は、法律にある種の支給について根拠があり、この法律の授権に基づいて、条例で、具体的に種類、額、支給方法等を定め、それに基づいて支給することをいい、更に、右の「これに基づく条例」との規定は、一般的に同法一四条に基づく条例という意味ではなく、具体的に地方公共団体の給与に関して法律上の特別の定めがあり、その法律の特別の委任によって、条例が内容的に給与の種類、額及び支給方法等を定めるべきことを定めたものである。ところが、本件特別報償条例は、勤務医師に対する特殊勤務手当としての特別報償を定めたものであるにもかかわらず、給付の目的物である住宅用地の所在、立地条件、地目、面積、価格及び付与の方法等については具体的な定めがない。したがって、同条例は、同法二〇四条、二〇四条の二に定める条例ということはできず、同条例に基づく宅地の給付は同法二〇四条の二に違反するから、同条例は無効である。

また、地方公務員法二四条六項、二五条三項によれば、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定めなければならず、給与に関する条例には、給料表その他の給与の支給方法及び支給条件に関する事項を規定しなければならないとされ、更に、同法二五条一項によれば、職員の給与は、同法二四条六項の規定による給与に関する条例に基づいて支給されなければならず、また、これに基づかずには、いかなる金銭又は有価物も職員に支給してはならないとされている。これらの規定も、地方自治法二〇四条、二〇四条の二と同じ趣旨である。したがって、本件特別報償条例は、地方公務員法二四条六項、二五条一項、三項に定める条例ということはできず、同条例に基づく宅地の給付は、同法二五条一項に違反するから、同条例は無効である。

更に、同法二四条六項の規定に基づいて制定された「軽井沢町一般職の職員の給与に関する条例」(昭和三六年三月二五日条例第二一号。以下「給与条例」という。)によると、給与条例にいう「給与」とは、常勤職員については給料及び各種手当(特殊勤務手当を含む。)をいい(二条)、右給与は、所定の例外を除き、現金で支払わなければならないとされている(三条一項)。したがって、被告が原告に対し、本件特別報償条例に基づく特殊勤務手当として宅地の原物を給付することは、給与条例三条一項に違反し、許されない。

以上のとおり、本件特別報償条例は無効な条例であり、原告は被告に対し同条例に基づく本件特別報償を請求する権利を有しない。

(2) 本件特別報償条例廃止の効果

仮に本件特別報償条例が有効であるとしても、同条例は、本件廃止条例によって廃止され、存在しないから、原告は、被告に対し本件特別報償として宅地の給付を請求する権利を有しない。

(3) 特別報償給付要件の該当性

仮に本件特別報償条例が有効であるとしても、同条例は、住民の健康管理、増進に欠かせない医師の恒常的な確保を図るため、被告の国民健康保険診療施設に勤務する医師で、住民の健康管理、増進に特別の功績のあった者に対して報償することを目的としている(一条)から、同条例に基づき住宅用地を与えるには、住民の健康管理、増進に特別の功績があった者であるとの要件を充たす必要があるところ、原告は、本件町立病院に勤務中、病院の運営、管理に非協力的であり、当直が免除されていないにもかかわらず、病院の当直の義務を果たさないこともあったので、住民の健康管理、増進に特別の功績があった者ということはできない。したがって、原告は、住宅用地の給付を請求する権利を有しない。

(4) 特別報償給付請求権の時効消滅

仮に本件特別報償条例が有効であるとしても、同条例による宅地給付請求権は、労働基準法一一五条の適用を受け、二年間行使しないときは時効により消滅する。ところで、原告は、平成元年四月三〇日をもって一五年間勤務したことになるので、原告に対する本件特別報償は平成元年度の末日である平成二年三月三一日までに与えられなければならない。ところが、原告に対し本件特別報償が与えられることなく平成四年三月三一日をもって履行期限から二年を経過したのであるから、原告の本件特別報償請求権は時効により消滅した。更に、原告は平成三年八月三一日に退職しているから、退職した日の翌日から起算しても平成五年八月三一日をもって二年を経過したので、原告の本件特別報償請求権は時効により消滅した。

3  被告の債務不履行責任の有無

(原告の主張)

前記2の原告の主張のとおり、被告は原告に対し、雇用契約上又は贈与契約上の宅地給付債務を負担しなければならないところであるが、仮に本件特別報償条例が無効であるとすれば、被告は同条例に基づいて宅地の給付をすることができず、右宅地給付債務は履行不能であるから、被告は原告に対し、民法四一五条、四一六条に基づいて損害賠償をする責任がある。

また、仮に本件特別報償条例が無効であることにより雇用契約又は贈与契約も無効となるとすれば、被告には無効な条例を制定した過失があり、他方、宅地給付に関する条例の存在(宅地受給の期待)は原告が本件町立病院勤務を選択する際の重要な要素であり、これを信じた原告には全く過失がないから、被告は原告に対し、契約締結上の過失の法理により、民法四一五条、四一六条に基づいて損害賠償をする責任がある。

更に、地方公共団体は、その任用に係る地方公務員に対し、勤務関係に付随する信義則上の義務として、当該公務員の財産権等を保護すべき義務があり、この義務に違反して当該公務員に損害を与えた場合には、債務不履行に基づく損害賠償の責任が生ずるものと解されるところ、本件特別報償が条例により定められていること、本件特別報償は原告が被告に任用される際に提示された勤務条件の一つであること、仮に本件特別報償条例が無効であるとしても、二〇年余りにわたり何らの改正もされず、漫然と放置されてきたこと、右条例の廃止に当たり原告に対し何らの説明もなく、また、条例適用要件を充たしているにもかかわらず何らの経過措置もなかったことなどに徴すると、被告は、原告に対する保護義務に違反し、原告の財産権等を侵害したものであり、原告に対し債務不履行に基づく損害賠償責任を負うものというべきである。

(被告の主張)

前記2の被告の主張のとおり、被告と原告との間においては雇用契約その他の私法上の契約関係は認められないから、被告は原告に対し、私法上の契約関係に起因する損害賠償責任を負わない。

また、原告は、被告に勤務中は地方公務員であり、その職務を遂行するに当たって、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、かつ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない義務があった(地方公務員法三二条)から、本件特別報償条例が条例としての効力を生ずるに至っていない以上、原告は被告に対し、信義則違反等を理由として損害賠償を請求する権利を有しない。

4  原告の損害の有無及びその金額

(原告の主張)

被告の債務不履行によって原告が被った損害及びその額は次のとおりであり、原告は、本訴において、宅地の価格相当額(予備的に給与の差額相当額)として九三〇〇万円、慰謝料として五〇〇万円、弁護士費用として二〇〇万円、以上合計一億円の損害賠償を請求する。

(一) 給付されるべき宅地の価格相当額(填補賠償)

本件特別報償条例が廃止されることにより公権的に同条例が無効と確定された平成七年三月を基準時とすると、この直近である平成六年七月一日時点における軽井沢町内の平均的住宅地の価格(国土利用計画法施行令九条に基づいて長野県知事が判定した標準価格)は次のとおりであり、この両土地価格の相加平均価格に給付されるべき面積六〇〇平方メートルを乗じた金一億〇五九〇万円が給付に代わる価格相当額となる。

・軽井沢町大字軽井沢字野沢四〇四番二ほか一筆(基準地番号軽井沢(県)―1。軽井沢駅より一七〇〇メートル、第一種住居専用地域内の宅地)

一平方メートル当たりの価格

二三万五〇〇〇円

・軽井沢町大字軽井沢字長倉往還南原一〇五二番四八六ほか一筆(基準地番号軽井沢(県)―5。軽井沢駅より一九〇〇メートル、第一種住居専用地域内の宅地)

一平方メートル当たりの価格

一一万八〇〇〇円

また、本件訴訟の口頭弁論終結時を基準時とすると、この直近である平成八年七月一日時点における軽井沢町内の平均的住宅地の価格(同前)は次のとおりであり、この両土地価格の相加平均価格に給付されるべき面積六〇〇平方メートルを乗じた金八二七四万円が給付に代わる価格相当額となる。

・軽井沢町大字軽井沢字上御原三〇八番一一ほか一筆(基準地番号軽井沢(県)―1。軽井沢駅より一九〇〇メートル、第一種低層住居専用地域内の宅地)

一平方メートル当たりの価格

一七万六〇〇〇円

・軽井沢町大字軽井沢字長倉往還南原一〇五二番四八六ほか一筆(基準地番号軽井沢(県)―5。軽井沢駅より一九〇〇メートル、第一種低層住居専用地域内の宅地)

一平方メートル当たりの価格

九万九八〇〇円

(二) 給与の差額相当額(逸失利益)

仮に右(一)の填補賠償が認められないとしても、原告が被告に任用されるに当たり、宅地給付の請求ができないことが分かっていれば、原告は、本件町立病院ではなく、他の医療機関に勤務していたはずであるから、その場合に得られたであろう給与の額と被告から現に支給された給与等の額との差額が原告の被った損害となる。そして、平成六年賃金センサスによれば、医療機関(規模一〇ないし九九人)に勤務する五〇歳から五四歳までの医師のきまって支給する現金給与額(月額)は一三九万四三〇〇円、年間賞与その他特別給与額は四一一万一七〇〇円であり、また、原告の平成二年度の給与等の総支給額は一五二一万一八四六円である。右賃金センサスによる平均年間給与額は二〇八四万三三〇〇円となるが、これを仮に平成二年の水準(五パーセント減)に修正すると約一九八〇万円となる。この金額と原告の平成二年度の総支給額との差額は約四五九万円となり、勤務年数一七年間にわたる右差額総額の現価額は五三六五万円となる。

(三) 慰謝料

原告の精神的損害は、一町民として、また被用者として、本件特別報償条例の存在を信じ、宅地給付を期待し生活設計をしていたにもかかわらず、右信頼及び期待が裏切られたことによる精神的苦痛である。また、被告は、右条例の廃止に当たり議会において虚偽の答弁をし、また、その後も度々議会において原告の信用を失墜するような言動をしており、これによる原告の精神的苦痛は莫大なものがある。更に、原告の権利を擁護するために訴訟を提起せざるを得なかった被告の不誠意自体も原告の精神的苦痛を増幅するものである。原告の本件町立病院に勤務した一七年間の労苦とその後の経緯にかんがみると、右の精神的苦痛を慰謝するための金額は少なくとも五〇〇万円を下らない。

(四) 弁護士費用

原告は、自己の権利を擁護するため、横浜弁護士会所属弁護士の原告代理人に訴訟を依頼し、同弁護士会報酬規程に基づく着手金及び謝金の最低額並びに旅費・日当その他の実費を支払う旨約束した。右の弁護士費用としては少なくとも二〇〇万円を下らない。

(被告の主張)

被告は原告に対し、特定の土地を給付する旨の決定(行政処分)をしていないのであるから、被告が原告に対し、原告の主張するような地点に存する土地及びその面積を給付しなければならない理由はないので、これを前提とする原告の損害額の主張は不当である。

また、被告の原告に対する実際の給与等の支給額及び賃金センサスによる医療機関に勤務する医師の年間給与額は各年度によって異なっているから、原告主張のような算定方法により差額総額の現在額を算出することは相当でないし、被告は原告に対し多額の特殊勤務手当を支給しているので、他の医療機関に比べて給与等の額が少ないとはいえない。

5  損害賠償請求権の消滅時効の成否

(被告の主張)

仮に債務不履行による損害賠償請求権についての原告の主張が認められたとしても、右請求権にも労働基準法一一五条の適用があり、原告は、退職の日である平成三年八月三一日から二年間損害賠償の請求をしなかったので、右請求権は時効により消滅した。

(原告の主張)

原告の損害賠償請求権が時効により消滅したとの主張は争う。

第三  争点に対する判断

一  争点1(主位的請求に係る訴えの適法性)について

原告の主位的請求は、本件特別報償としての宅地給付を実現すべく、原告が被告に対し私法上又は公法上の宅地給付請求権を有することの確認を求めるというものであり、これに対し被告は、右請求に係る訴えはいわゆる義務付け訴訟であって、行政庁の第一次判断権を侵害するものとして許されず、不適法である旨主張する。

しかしながら、原告が第一次的に主張するのは、雇用契約又は贈与契約という私法上の法律関係に基づいて生ずるという債権であり、公法上の法律関係に基づく行政主体に対する権利を主張しているわけではない。したがって、この限りでは右のような請求権の存在の確認を求める訴えが義務付け訴訟に当たらないことは明らかである。

もっとも、原告は、第二次的には、本件特別報償条例を直接の根拠として公法上の法律関係に基づいて生ずるという請求権を主張している。ところで、右条例において宅地給付に係る要件と効果を定めているのは二条(1)号であるが、同条においては、通算して一定年数勤務した者に対し住宅用地を与える旨定めているだけであって、それ以外に特別の受給要件を定めているわけではない。この点に関し、被告は、同条例一条を根拠として、ただ単に通算して一五年以上勤務しただけでなく、住民の健康管理、増進に特別の功績のあったことを要し、この功績の有無は町長の裁量的判断に委ねられている旨主張する。しかしながら、同条例における条項の配列及びその文言に照らして考察すれば、一条に掲記されている事項はあくまでも特別報償制度を創設した目的及び趣旨を明らかにしたものと解されるのであり、それ以上に受給要件に限定を加えたものとみることは困難である。そして、特別報償の内容を定めた二条においても、(2)号の海外研修及び(3)号の国内留学については「行わせることができる」と裁量の余地がある文言で規定されているのに対し、(1)号の宅地給付については「与える」とのみ規定されていることをも併せ考慮すれば、事の当否はともかく、同条例自体としては、被告の国民健康保険診療施設の医師が通算して一五年以上勤務した場合には住宅用地の受給要件が充足されるものとしていると解さざるを得ない。したがって、この実体的要件の点で町長の裁量に基づく第一次判断権を尊重しなければならない理由はない。また、同条例二条(1)号は、給付の対象として、六〇〇平方メートル以内の住宅用地を与える旨定めているだけであって、給付の目的となるべき宅地が具体的に特定されていないから、仮に原告の確認請求が認容されても被告の具体的な宅地給付義務が確定するわけではなく、そのためには更に被告において右給付事務を所管するものとされていた町長が対象地を確定するための手続を執らなければならないことになるが、本件における原告の請求は、右のような行政庁としての町長がその第一次判断権に基づいてすべき手続を執ることを求めたり、あるいはその手続の具体的な内容の確認を求めるものではなく、原告が右宅地給付の権利義務の帰属主体である被告に対し宅地給付を求め得る権利があるという公法上の法律関係に基づく地位の確認を求めるにとどまるものである。このような訴えは、公法上の権利に関する実質的当事者訴訟に該当するものであり、確認の対象が前記のような行政庁の第一次判断権に係る事項ではない以上、無名抗告訴訟の一種としての義務付け訴訟(義務確認訴訟)には含まれないというべきである。

以上のとおり、主位的請求に係る訴えの却下を求める被告の主張は採用できないので、進んで、原告の主張する各請求権の存否について判断することとする。

二  争点2(宅地給付請求権の存否)について

地方自治法が、普通地方公共団体の常勤職員に対する給料、手当及び旅費の額並びにその支給方法は条例で定めなければならず(同法二〇四条三項)、普通地方公共団体はいかなる給与その他の給付も法律又はこれに基づく条例に基づかずには職員に対し支給することができないものとし(同法二〇四条の二)、また、地方公務員法が同様に、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は条例で定め(同法二四条六項)、その条例に基づかずにはいかなる金銭又は有価物も職員に支給してはならないと規定し(同法二五条一項)、いわゆる給与(勤務条件)条例主義を採用したのは、一方では、給与が職員にとってその社会生活を維持するための経済的基盤の中核をなすものであることにかんがみ、いわゆる労働基本権(憲法二八条)を制限されている職員に対して給与を権利として保障するとともに、他方では、地方自治制度の根幹をなす住民自治の原則に基づき、地方公共団体の職員に対する給与その他の給付の決定を住民の代表である議会の条例制定に係らしめることによって、これを民主的統制の下に置き、地方公共団体の執行機関による恣意的な給与等の支給を抑止することを目的としたものであると解される。そして、右の制度趣旨に照らし、かつ、これらの法律が「いかなる給与その他の給付」(地方自治法二〇四条の二)あるいは「いかなる金銭又は有価物」(地方公務員法二五条一項)という文言を用いていることからすると、法は、給与条例主義の徹底を図るため、職員の任用に基づく勤務関係においては、趣旨及び名目のいかんを問わず一切の金銭その他の有価物について条例に基づかない職員への支給を禁止していると解すべきである。したがって、地方公共団体がその職員との間で当該職員に対する金銭その他の有価物の支給を内容とする契約を締結することは、条例に基づかない給付を約定するものとして許されず、当該契約は無効であるといわなければならない。また、形式上は条例に給与等に関する定めが置かれていても、具体的な支給時期の調整などの技術的・細目的な事項にとどまらず、給付の種類、額、支給方法など給付を行うために必要な基本的事項までをも規則等に委任している場合や、右の諸事項の決定を執行機関に一任している場合には、その条例は給与条例主義を実質的に潜脱するものとして違法・無効であり、これに基づく給付も違法となると解するのが相当である。

このような見地からすると、まず、雇用契約又は贈与契約に基づく宅地給付請求権の存在をいう原告の主張は、当該請求権の根拠が条例ではなく契約にあるという点において前記の給与条例主義に抵触し、条例によらない無効な給付契約を前提とするものであるから、これが失当であることは明らかである。

また、前判示のとおり、本件特別報償条例は、被告の職員である国民健康保険診療施設の勤務医師に対し本件特別報償として給付することのできる住宅用地の面積の上限及び給付すべき年度を定めるのみで、具体的な住宅用地を給付するために必要なその他の事項についてはその定めをすべて町長に委任する旨を規定していることが認められるから、本件特別報償に関する同条例の定めは、給与条例主義を実質的に潜脱するものとして違法・無効というほかなく、同条例を直接の根拠とする宅地給付請求権の存在をいう原告の主張もまた失当である。

なお、地方自治法は、職員に支給することができる諸手当を具体的に列挙した上で(二〇四条二項)、「給料、手当及び旅費の額並びにその支給方法」につき条例で定めるべきものとしていること、右の二〇四条二項の規定は二〇四条の二の新設に際して条例で支給方法等を定めるべき諸手当の種類を法律において明記するために設けられたものであることに徴すると、二〇四条の二所定の法律に基づく条例とは、法律において予め職員に対して支給し得る給付の費目が定められている場合に、この法律の授権に基づいて具体的に支給額、算定方法及び支給方法等を規定する条例をいうのであって、具体的な法律による授権がなく、同法一四条に基づいて制定される条例は含まれないと解される。ところで、本件特別報償条例が定める常勤職員である医師に対する特別報償としての宅地の給付については、これを定めた法律の規定は存しないから、右条例は、法律の授権に基づかない給付を定めたものとして違法かつ無効なものであり、したがって、右条例を根拠として被告に対し宅地給付請求権が発生することもあり得ないというべきである。原告の主張は、この面からみても採用できない。

三  争点3(被告の債務不履行責任の有無)について

前判示のとおり、普通地方公共団体である被告が職員との間で給与等の支給に関し私法上の契約によって合意をすることは許されず、このような契約は無効といわざるを得ないから、雇用契約又は贈与契約に基づく債務の不履行あるいは契約締結上の過失の法理による損害賠償請求は、これを認める余地がないといわなければならない。

ところで、地方公務員法二四条六項が勤務条件条例主義を採用した趣旨は前判示のとおりであるが、これを職員の勤務関係の特質の面から更に考察すると、労働条件の維持改善を図るための基本的な権利として勤労者に保障された労働基本権が地方公務員についてはその地位の特殊性に基づいて一定の制約を受けているため、その代償措置として職員の勤務条件を条例によって保障しようとしたものであると解される。すなわち、地方公共団体の職員(警察職員及び消防職員を除く。)は、職員団体を組織し、人事委員会又は公平委員会の登録を受けることにより、地方公共団体の当局に対し、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関する交渉を申し入れることができるとされているものの(地方公務員法五二条、五五条一項)、団体協約を締結することは許されておらず(同法五五条二項)、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に抵触しない限りにおいて当局と書面による協定を結ぶことができるとされているにとどまり(同法五五条九項)、また、住民に対する同盟罷業、怠業その他の争議行為及び地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為についても禁止されている(同法三七条)。このような法律による労働基本権の制約は、住民全体に対する奉仕者としての地方公務員の地位の特殊性を根拠とするものであるが、地方公務員といえども自己の労務を提供して生活の資を得る勤労者として一般の勤労者と同等に憲法上の労働基本権の保障を享受するものである以上、その制約の代償として相応の措置が講じられなければならないというべきところ、地方公務員法は、このような代償措置として、給与、勤務時間その他の勤務条件に関する措置要求(同法四六条)、不利益処分に対する不服申立て(同法四九条の二)並びに人事委員会による給料表に関する報告及び勧告(同法二六条)の各制度のほか、任用(同法第三章第二節)、給与、勤務時間その他の勤務条件(同第四節)、分限及び懲戒(同第五節)等について詳細な規定を設け、このうち給与、勤務時間その他の勤務条件については、同法二四条一項及び三項が、職員の給与は、その職務と責任に応じ、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間企業の従事者の給与その他の事情を考慮して定められなければならない旨規定し、また、同条五項が、職員の給与以外の勤務条件を定めるに当たっては、国及び他の地方公共団体の職員との間に権衡を失しないように適当な考慮が払われなければならない旨規定しているほかは、具体的な勤務条件についての定めを個々の地方公共団体の条例の規定に委ね、条例の制定を通じて職員の勤務条件を保障しようとしているのである。したがって、職員にとっては、法律又はこれに基づく条例によって定められた勤務条件が保障されることを信頼すればこそ、任用に基づく公務員としての勤務関係に入るのであり、このような信頼は、前記のような特殊性のある法律関係を形成する両当事者の間で保護されなければならず、その信頼の保護は両当事者を支配する法原理としての信義則により当然に要求されるものと考えられる。このような見地からみれば、任命者側の地方公共団体が条例によって定める勤務条件は、その内容が根拠となる法律の規定に照らし適正なものであることが要求され、その条例が法律の規定に抵触し無効であるというがごとき事態が生じないようにしなければならないことはいうまでもない。したがって、地方公共団体は、単に勤務条件を条例で形式的に定めるだけでなく、その内容が適正か、あるいは法律に適合する有効なものかを常に検討し、必要に応じ適宜条例の制定・改廃を行うことにより、適正かつ適法な勤務条件を整備して、職員の信頼に反し不測の損害を被らせないようにしなければならず、これは公務員としての特殊な勤務関係を形成した両当事者を規律する信義則上の義務であるというべきである。そして、このような義務は法の規定に基づく一般的な義務というにとどまらず、地方公共団体が個々の職員との間の勤務関係に付随して負担する義務と解すべきであり、地方公共団体が右の義務に違反したときには、一種の債務不履行に基づく責任として、これによって損害を受けた職員に対し損害賠償の義務を負うと解するのが相当である。

これを本件についてみると、前判示のとおり、被告は、本件特別報償に係る条例の規定が地方自治法及び地方公務員法に違反し無効であるにもかかわらず、制定時からその後の原告の一七年間に及ぶ在職期間を通じ、同規定の改廃等の措置を採らずこれを放置したものであり、被告が原告との関係において勤務条件を適正かつ適法なものに整備すべき義務に違反したというべきであるから、被告は、原告に対し、右の義務違反によって原告が同条例を有効なものと信頼したために被った損害を賠償する責任がある。

四  争点4(原告の損害の有無及びその金額)について

1  給付されるべき宅地の価格相当額(填補賠償)について

この点に関する原告の主張は、原告の被告に対する宅地給付請求権の存在を前提とするものであるところ、前判示二のとおり、右請求権の存在は認められないから、原告の右主張は前提を欠き理由がない。

2  給与の差額相当額(逸失利益)について

原告が他の医療機関に勤務していればその主張額どおりの収入が現実に得られたであろうことを認めるに足りる証拠はない。すなわち、原告は、甲第八、第九号証を提出して民間における医師の給与水準が高いことを立証しようとするが、右は平成六年度の医師の平均賃金を示すものであって、原告が本件町立病院に勤務していた期間の全般にわたる賃金格差を表わす証拠ではないばかりでなく、他方、乙第五一号証、第五二号証の一ないし一八、第五三号証の一ないし一八及び弁論の全趣旨によって認められる原告が支給を受けてきた給与の額は、一般的には医師の給与が高いことを考慮してもなお低きにすぎるとはいえず、少なくとも他の公立病院医師の給与額よりも低いことを認めるに足りる証拠はないところ、原告は、本件町立病院に勤務していない場合には、他の公立病院に勤務していた可能性も否定できないのであるから、民間病院の勤務医の賃金との格差のみによって逸失利益を立証し得るものではない。したがって、原告のこの点に関する主張も理由がない。

3  慰謝料について

甲第二一号証、第三〇号証、乙第一四号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、大学医学部及び大学院を卒業後、昭和四八年五月から一年間長野県上水内郡三水村・牟礼村福祉組合の開設に係る診療所に勤務し、その後、軽井沢町内で開業医をしていた実父の勧めにより、被告の常勤職員に任命されて本件町立病院に勤務するようになったこと、その際、本件特別報償条例についても説明を受け、一定年数勤務するとこれを与えられることが右勤務に就く動機の一つとなっていたこと、その後も、勤務年数の条件を充足すれば宅地の給付を受けられるものと期待していたことが認められる。そして、前判示の各事実によれば、被告が本件特別報償に関する条例の規定を改廃することなく放置したことにより、原告が右規定の有効性を疑うことなく宅地の給付を受けられるとの期待を持ち続けていたことは無理もないというべきであり、その期待が実現不能であることを認識できないまま一七年に及ぶ勤務期間を終え、その後に至りこれが判明したことにより、原告が精神的な苦痛を受けたであろうことは推測するに難くない。そして、宅地給付の点は、任命の時点では本件町立病院に勤務することの大きな要素となっていたことは疑いなく、その後において、これを受けられないことが判明していれば、直ちに他に職を求めていたかどうかは証拠上必ずしも断定できないものの、他に勤務条件の有利な稼働先があれば転職していた可能性もまた否定できない。このような原告側の事情、特に本件町立病院に勤務することとなった動機、その後の原告の勤務年数、本件特別報償条例の規定内容その他諸般の事情に照らすと、原告が被告の前判示三の義務違反により被った精神的苦痛を慰謝するための金員としては三〇〇万円をもって相当とする。

4  弁護士費用について

甲第二九号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は、横浜弁護士会所属の弁護士である原告代理人に本件訴訟の提起及び追行を委任し、同弁護士会報酬規程に基づく着手金及び最低額の報酬並びに旅費・日当その他の実費を支払う旨約束したことが認められる。そして、本件事案の内容、訴訟遂行の難易度、認容額等諸般の事情に徴すると、前判示三の被告の義務違反と相当因果関係にある損害として原告が被告に対して請求し得る弁護士費用は三〇万円をもって相当と認める。

五  争点5(損害賠償請求権の消滅時効の成否)について

労働基準法一一五条の規定により二年間の時効期間が適用される請求権は、同法の規定による賃金(退職手当を除く。)、災害補償その他の請求権に限定されており、本件のような地方公共団体の義務違反(債務不履行)に基づく損害賠償請求権がこれに含まれないことは明らかであるから、この点に関する被告の主張を採用することはできない。

六  まとめ

以上の次第で、原告の主位的請求は理由がないからこれを棄却し、予備的請求については、金三三〇万円の支払を求める限度において理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条、六四条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官齋藤隆 裁判官針塚遵 裁判官古田孝夫)

別紙○軽井沢町国民健康保険診療施設の勤務医師に対する特別報償に関する条例

(昭和四七年三月二八日条例第一〇号)

(目的)

第一条 この条例は、住民の健康管理、増進に欠かせない医師の、恒常的な確保を図るため、軽井沢町国民健康保険診療施設に勤務する医師で、住民の健康管理、増進に特別の功績のあった者に対して報償することを目的とする。

(報償)

第二条 特別補償は、次の各号による。

(1) 通算して一五年以上勤務した者には、六〇〇平方メートル以内の住宅用地を与える。

(2) 通算して七年以上勤務した者は、一五日以内の海外研修を行わせることができる。

(3) 二年毎に、一か月以内の国内留学を行わせることができる。

(報償の時期)

第三条 特別報償は、前条各号に該当するに至った日の属する年度中に行うものとする。

(補則)

第四条 この条例に定めるもののほか、この条例の施行に関し必要な事項は、町長が定める。

附則

この条例は、公布の日から施行する。

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